8/4「吠える浪花の落語会」演者紹介⑥美猫さん
- 2019/07/16
- 20:11

吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生まれたか、とんと見当もつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは落語家という、人間中で一番獰悪(どうあく)な種族であったそうだ。この落語家というのはしばしば我々を題材に滑稽な噺をする。もっとも、滑稽だと思っているのは人間ばかりで、我々にとっては至極迷惑な噺が多い。
友人が肴を買いに行っている間に待ちきれず酒を喰らい、あたかも我々が粗相でこぼしたような嘘をついたり、絵高麗の梅鉢とやらいう高価な皿を手に入れるために吾輩の仲間を買おうとしたり、けしからぬことこの上ない。あまりけしからぬことばかりするものだから、吾輩は先日、ついに報復に出た。吾輩を風呂場に閉じ込めて「トラ」とかいう口先だけ威勢のいい男を送り込んできたので、さんざん痛めつけて濡れ鼠にしてやったのだ。痛快だ。
さて、そんなけしからぬ人間どもの中に、唯一、吾輩が好ましく思う種族がある。彼らは酔狂にも人から金をとらずに落語をやる。社会人落語家と呼ばれている種族で、その無私無欲な心がけがまずもって好ましい。世間には、金をとって下手な落語を聞かせる輩がごまんといるようだが、金をとらない社会人落語家というものは甚だ好ましい生き物である。彼らは客から金をとらないくせに、落語会が終わると、必ず打ち上げとやらいう寄り合いを開き、自分の懐から銭を出して酒を飲む。日本の経済をまわす、素晴らしい行いだ。そんな社会人落語家の中でも、特に噺が面白く、猫を愛し、見目麗しい婦人であればなおのこと良い。
ある日のこと、吾輩は京都のある寄席で、一人の婦人の落語を聞いた。彼女は全身猫柄の浴衣を身につけ、美しい顔を右や左に向けながら、くすぐりではシッカリ笑いをとっていた。その軽妙洒脱な話芸に客は皆、彼女の虜になっていった。吾輩はこれまでの人生でもっとも好ましいものを見た。いや、好ましい、というのでは足りぬ。吾輩は彼女を愛してしまったようだ。

それから吾輩は全力で彼女のことを調べ上げた。彼女の名前は「魚十春亭美猫」という。「さわらてい みねこ」と読む。美しい猫と書く。まさに吾輩そのものではないか。魚へんの漢字は山ほどあるが、「鰆」という字をあえてバラバラにして「魚」+「春」としたところに遊び心がある。魚へんに◎で「ちくわ」と読ませるクイズを見て、思いついたそうだ。




彼女は浪花に生まれ、浪花で育ったにも関わらず、江戸落語と上方落語の両方をやる。江戸ことば、上方ことば、双方を巧みに操る。大谷翔平もびっくりの二刀流である。寄席では太鼓を叩き、趣味でピアノも弾き、羽織紐を自分で作ったりもする。なんと器用なのだろう。猫が大好きで、家の中は所狭しと猫グッズで溢れている。

見よ!吾輩の仲間がたくさん描かれたこの浴衣を!!!
一見、非の打ち所がないように見える彼女であるが、実はかなりの粗忽者である。寄席の会場と違う駅で電車を降りてしまうなどは序の口で、旅先のハワイで携帯電話を失くして音信不通になり友人をヒヤヒヤさせたり、子供の頃なぞは、うっかり弟を殺めかけたこともある。
それは、ある夏の日のことだった。アイスクリームを買ってきた彼女が、保冷用のドライアイスを器に移し、水を注ぐともくもくと白い煙が出た。「なんだろう、この怪しく美しい煙は!?」好奇心旺盛な彼女は、すっかりその煙に夢中になった。水を注ぐ、もくもくもく。注ぐ、もくもくもくもく。た・・・楽しいっ!その様はまるで紅白歌合戦のステージ演出のようだった。テンションの上がりまくった彼女はどんどん水を注いだ。ところが、ドライアイスから出てくる煙は二酸化炭素である。空気より重く、床に沈殿する。畳の上に寝かされていた弟は姉のステージ演出によって危うく幼い命を失いかけたのである。
そんな微笑ましい粗忽伝説を持つ彼女が、8月4日、東京で「吠える浪花の落語会」に出演する。遥か浪花から汽車に乗って上京し、学芸大学まで無事にたどり着けるか甚だ心配なので、吾輩はそっと物陰から見守ることにした。吾輩は足音を立てずに歩き、気配を消して人間に近づくことができる。吾輩は人間たちに気づかれぬように、いつも彼らを見守っている。
8月4日、学芸大学に吾輩の姿はない。しかし、吾輩は愛する美猫女史の落語を聞いて客が大いに笑い、幸せな気分になること、「吠える浪花の落語会」が大入り満員の大盛会となることを誰よりも確信している。

(文・狐々亭さえの助)
スポンサーサイト